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代表 プロフィール

1989年7月、「日本でまだ有名でない、誰もやっていないスポーツ始めてやろう!」との熱意の元、有志数名と中央大学クリケットクラブ『英吉利倶楽部(イギリスクラブ)』を創設、初代主将に就任。世界的には120カ国以上で愛され、サッカーに次ぐ世界第2位の競技人口を持つスポーツではあるが、我が国で全く歴史がないと言っても過言ではなかったクリケット競技をスタートさせる。


翌1990年から開始された関東大学選手権において、ほぼ時を同じくして創設された慶應大学、専修大学、早稲田大学といった他大学クラブと熱戦を繰り広げるとともに、テレビ、新聞、雑誌等のマスメディアに積極的に働きかけ、我が国におけるクリケットの認知度向上に貢献。


1991年には創部以来クリケットを通じて交流を深めた在日外国人にヒアリングを重ねて作り上げた日本語によるルールブックを自費出版させ、Japan Times等の取材を受け、各国大使館の図書館にルールブックが所蔵されることに。


1992年3月には「英吉利倶楽部第1回豪州遠征」を主催。同部は“クリケット強豪国”オーストラリアの大学生1軍を相手に一歩もひけをとらず、奇跡とも言うべき大金星を挙げる。加えて、同年11月には在日英国大使館戦を中央大学学内で主催。中央大学の100年を越す歴史上で、初めて大学と英国大使館の交流を実現する。
また、同年5月某企業の全面協力を得て、日本初のクリケット道具売り場開設のためオーストラリア買い付け旅行に赴く。3都市を回って帰国し、無事売り場開設に漕ぎ着けるが、あまりに時期尚早だったためにその後開店休業に。


1993年の卒業に際しては、各大学有志とともに『ファーイーストクリケットクラブ(現、富士ファーイーストクリケットクラブ)』を創設し、初代代表に。同クラブは日本人で構成される我が国初の「社会人クリケットクラブ」であり、氏らが契機となった「大学卒業とともに社会人クラブを創設する」との潮流は現在でも脈々と受け継がれている。
尚、同年10月にオーストラリア大使館主催の日豪親睦行事セレブレイトオーストラリアにてオーストラリア大使館チームとファーイーストクリケットクラブの対戦を実現、同クラブの初勝利となる。


国際クリケット界との関係においては、1998年9月、“クリケットの母国”英国はおろか、全世界のクリケット関係者に「そのメンバーたることは最高級の栄誉」と言わしめる、世界最古のスポーツクラブ『マリラボン・クリケット・クラブ』(英国)の日本招聘事業総責任者として、故高円宮殿下ご夫妻様を招待し、故小渕敬三元首相から祝電を頂く等、辣腕を振るい世界のクリケット関係者から「日本にケニー(氏の愛称)あり」と絶大なる信頼を寄せられる。


その指導力、行動力を請われて、事実上有名無実化していた日本クリケット協会から支援を要請されたのが1999年2月。以来、初代理事長に就任し協会の再建に着手。日本の代表として国際会議に幾度か出席し、世界の有名選手達と交流を深める。また構想(戦略)面及び資金面から支え続けるとともに社会経験の浅いスタッフを先頭に立って叱咤激励し、「ボランティア組織」として足腰の弱かった協会を「我が国におけるクリケット競技の総括団体」として軌道に乗せた。
また同年、全国6人制大会の構想を立ち上げ、試行錯誤の結果01年に開催。その後様相は変わったものの現在も「クリックフェスタ」の名の元で大会は継続されている。


2000年、国際クリケット評議会が世界を5地域に分けるにあたって、日本がアジア地区に属するのか東アジア・太平洋(以後EAP)地区に所属するのかの選択を迫られることに。同氏は様々な観点から考慮し、また元南アフリカ特命全権大使の故クリッシュ・マカドゥジ氏らのアドバイスを聴き、日本の代表としてEAP地区所属を選択、結果その4年後国際大会誘致が実現された。


2001年12月には自らの悲願であった「特定非営利活動法人(NPO法人)格」を取得し、その重責を果たす。尚、現在の日本クリケット協会のロゴマークも同氏が当時デザインしたものであり、現在は商標登録されている。


2002年4月、協会運営を後進に譲り、自らは『レクリエーショナルクリケット協会(現在はレクリエーション&クリケットアカデミーという呼称も併用)』を設立、代表となる。「遊び、学び、そして広める」をスローガンに、「純然たる“競技としてのクリケット”だけではなく、子供からお年寄りまでが楽しめる“レクリエーションとしてのクリケット”がこの国のクリケット普及の底辺を支える」との確信の元、同年だけで年間3000人の老若男女にクリケットを指導。その活動の功績を認められ03年3月にはEAP地区のベストプログラム賞を国際クリケット評議会より受賞。
また同団体では子供向けのリーフレット「ハロークリケット」等の製作も手がけ、教材や育成プログラムの考案にも力を入れてきている。


2001年に長年の悲願であった日本語によるクリケット解説ビデオを製作すると同時に、販売の権利を取得。続いて03年には自力で台湾からのプラスティック製のクリケット簡易キットの輸入ルートを開拓。安価で簡易キットを提供できる環境を整備すると共に、ビデオと併せて日本唯一の通販サイトを開設し独自に販売を開始する。


2004年5月、日本初となる国際大会「EAPチャレンジ」を静岡県富士市で開催するにあたり、日本クリケット協会から支援要請を受け、日本初となるインターネット及び携帯サイトでのライブスコア配信を実現。世界中から期間中2万アクセスを超える反響を呼ぶ。


2007年10月、普及活動のひとつの成果として、小学生を対象とした大会「第1回ハロークリケットカップ」を開催。全国から100人を超すジュニアクリケッターが参加し大好評を博す。また2008年には高校生の大会「第1回フューチャーズカップ」も実施に至る。


尚、前後するが2年に1度開催国持ち回りで開催される「Golden Oldies World Cricket Festival」に、本来であれば40歳以上が参加資格であるところを日本のパイオニアということで、世界の特例処置を受け、1996年よりわずか28歳の身分で出場。Festivalには世界中から毎回1000人を超すアマチュア選手、元プロ選手達が参加し、氏は参加することにより日本でも日本人がクリケットをしている事実を参加者に浸透させることとなる。以後継続して現在も参加しており、ついには02年度大会より日本国旗が大会開催中に氏のためだけに掲げられるようになった。


更に2007年、それまでの活動の実績と成果が評価され、国際クリケット評議会よりEAP地区の功労賞を史上最年少で日本人初受賞。

2009年には財団法人日本レクリエーション協会から「レクリエーション運動普及振興功労者」の表彰を日本クリケット界で初受賞。

また同じく2009年には国際クリケット評議会から「過去100年間でクリケットの発展や普及に寄与した世界の1000人」に日本人で唯一選ばれる。