日本におけるクリケットの歴史

導入期

 日本には、明治維新前後にイギリス海軍等によってクリケットがもたらされました。その後、各地で外国人を中心におこなわれるようになり、1898年日本で最初のクリケットクラブ、横浜カントリー&アスレティッククラブが誕生し、と同時にクリケットグランド(現在の横浜スタジアム付近)が誕生しました。
 日本人の間でも開成高校等の上級学校で明治中期頃まで行なわれてきた形跡が見受けられますが、結局一部の在留外国人の間で細々と続けられ、野球を筆頭に他のスポーツの方が早く日本人の間に浸透したため、本格的に一般の人々の間には普及せず幻のスポーツとなっておりました。

黎明期

 1977年の春ころから神戸市外国語大学の山田誠教授によりその存在を紹介され、神戸在住の有志により、クリケットの研究が行なわれ始めました。そして1980年4月に、日本では実質初めてと言える、日本人のメンバーによって構成されたクリケットクラブが神戸市外国語大学に誕生し、その後約10年間に渡り活動を続けておりました。現在、同大学では正課の体育実技にクリケットが取り入れられるようになっております。

復活期

 本格的な日本人のクラブは1987年に慶應義塾大学で誕生し、更に1989年に専修大学と中央大学に同様のクリケットクラブが誕生し現在に続く日本におけるクリケットに関する活動の主体が動き始めました。その後1990年に早稲田大学、1992年に東京工科大学、1994年に青山学院大学と聖心女子大学にクラブが誕生しており、また関西地域には1991年に同志社大学に同様のクラブが誕生しております。
 在日外国人主導型のクラブでは既に1983年に東海地域に静岡クリケットクラブが誕生し静岡県や愛知県を中心に在日外国人クラブの輪は現在でも広がっております。1985年には東京の江戸川区にもクラブができ、その後群馬県の前橋市や神奈川県の平塚市等と関東地域には現在でも続々と在日外国人のクラブが誕生しております。また1992年には四国地域の愛媛県松山市にクラブが誕生しており、更に関西地域にも前述の横浜カントリー&アスレティッククラブ(YC&AC)の姉妹クラブ神戸レガッタ&アスレティッククラブ(KR&AC)を中心に広がっております。1990年代後半には九州地域にもクラブが続出し、現在もその増加は続いております。また東北地域にも徐々にですが現在クラブが増えつつあります。
 また1998年には岐阜県の各務原市の小学校にもクラブが誕生し、更に大学を卒業したメンバーによる日本人の社会人によるクラブも現在男女問わず毎年設立されております。
 前述の在日外国人主導型の各地域クラブにも日本人が所属していることから、在日外国人のみならず、日本人のクラブ数、競技人口共に確実に現在増加傾向にあります。

環境

 クリケットは日本においては、世界的には歴史が古くてもニュースポーツという扱いであり、且つ当然ながらアマチュアスポーツです。
 ニュースポーツは幾つかの種類に別れます。本当に新たに生まれた物、既存のスポーツの組み合わせや簡素化によって生まれた物、そしてクリケットのように世界的には歴史があったが日本では目新しい物、の大きく分ければ3種類です。
 クリケットはそもそも旧大英帝国の植民地における国民的なスポーツで、世界的にも競技人口はサッカーの次を誇るのですが、こと日本においては前述のように着実に競技人口は広まってはおりますが、しかしその環境となりますと何も無いといって良いほど整っておりません。
現在クリケット専用のグランド、練習設備を配した施設は日本中に1つも有りません。それではどのようにして練習や試合を実施しているのか。結局のところ現時点では既設の他のスポーツの運動施設や河川敷といった場所を許可申請し或いは開拓活用しているのが現状であり、自由に使える施設はありません。つまり他のスポーツ団体等の都合に併せてクリケットの全ての大会や練習日程が決定してくると言った他力本願という偏った運営状況が続いております。
 また日本語によるルールブックあるいは専門書籍の販売やクリケットの専門道具を取り扱うお店等も全く現在まだ存在しておりません。後述のごとくクリケット界における正式なルール本「The Laws of Cricket」の和訳本は完成しておりますが、一般書店での販売には至っておりませんし、各クラブ自前の日本語によるルールブックは作成されていますが、そのクラブ内での活用以外には日の目を見ていない状況です。更にテレビやラジオ、新聞等の日本のメディア媒体による日本語による情報の提供も一切行われておりません。かつては同人誌的な存在の専門書が発売されていた時代もありましたが、結局のところ販売部数の増加には結びつかず様々な課題を残し廃刊となってしまいました。また同様にクリケットの道具を取り扱うスポーツショップも1時期存在しておりましたが、同様に様々なクリケット界内外における問題を抱え休業閉鎖へと追い込まれました。

大会・イベント

 関東の大学クラブによる男子選手権が1990年度より開始され、引き続き1993年度より女子選手権も開催されるようになりました。
 1989年度以降オセアニア地域を中心とした各大学クラブの積極的な海外遠征による現地協会及びクラブチームとの交流に加え、1991年度より国内では英国やオーストラリア等の各国大使館職員チームとの交流も開始され、現在では複数のクラブが定例戦を毎年開催しております。加えて1993年以降毎夏に開催される初心者向けのキャンプ「チャレンジカップ」が英国大使館後援で行われております。更には1994年度以降、毎年度末に各種大会の表彰式が行われ、また英国駐日大使がプレゼンターを努めてくださっております、クリケット関係者、後援者を集めて行なわれるパーティが英国大使館で催されるようになり、その関係は年を重ねる毎に綿密となってきています。
 1994年以降、伝統的な試合スタイルを取り入れた試合形式である2dayマッチの大会「群馬カップ」が学生クラブ、社会人クラブチームを集めて群馬県内において毎年開催され、日本人クリケッター最大の注目を浴びる大会に現在はなっております。
1999年には社会人と学生のクラブ混在のワンデイ選手権が開催され、また2000年より社会人のみのワンディ選手権が正式に開催されるようになり、大学選手権を制したものとの日本選手権の試みも開始されることになりました。
 また1994年以降日本代表チームを選抜し、積極的に海外に遠征を行ってきております。特に、1994・95年の香港遠征によりアジアでの日本人の存在をアピールし、その結果1995年以降、毎年北京や上海で開催されている6人制の国際大会に招待され、今期は6月に開催されました上海大会においえ2チームの参加を果たし、そのうちAチームがベスト4進出、Bチームが2部リーグを制しました。
 更には1996年以降2年に1度開催されていますアジア大会「ACCトロフィー」にも第1回大会からフル参加を果たしております。1996年のマレーシア大会、1998年のネパール大会、2000年のアラブ首長国連邦大会と全試合勝ち星には恵まれてきませんでしたが、各大会において日本代表は大きな進歩を見せ、日本と世界のクリケットの親交に大きな役割を果たしました。
 上述のごとく日本人クリケットの世界が今や国際的にその認知度があがり、またそれに伴い日本人選手の活躍の場も急速に広がりつつあります。
 海外から著名な方々の来日も昨今増えてきております。1994年10月にはオーストラリアナショナルチームの元エースボーラーであるジェフ・トムソン氏を招待し、日本でのクリケットの普及・発展に協力を得ました。更に2000年にはオーストラリアナショナルチームの元キャプテンであるアラン・ボダー選手も来日を果たし、日本人選手とのしばしの交流を持たれました。
 1995年には、英国に本部を置く慈善団体「Save The Children」が主催したクリケットのチャリティー・ワールドツアーの一環として横浜のYC&ACでチャリティーマッチが行われ、日本勢はその試合に勝利を収めたこともあり尚一層のメディアを通じて世界のクリケット関係者に日本がクリケットならびに慈善イベントに協力的であることを印象付けました。
 1998年に日本で開催されました外務省及び英国大使館主催による英国祭「UKフェスティバル'98」におきましては、その一環として前述の世界最高峰であり、世界最古のスポーツクラブ、マリラボーン・クリケット・クラブ(MCC)を招待し、群馬県の宮城村や神奈川県の横浜市において、学生選抜並びに日本代表と親善試合を実施致しました。その催し期間中、宮城村で行われましたオープニングパーティーにおいては前内閣総理大臣故小渕恵三様から祝電を戴き、また英国公使や南アフリカ大使ご夫妻にもご出席を賜り、更には歴史的勝利を収めました横浜のYC&ACで実施されました最終戦には高円宮殿下ご夫妻が観戦にお見えになるなど、それまでのクリケット界においては考えられぬほどの盛況ぶりをはくしました。
 2000年の7月より約2ヶ月間ICCのEAST ASIA開発プログラムの一環としましてオーストラリアからDevelopment Officerとして元プロクリケット選手のショーン・ウィリアム氏が来日し、また2001年も夏の1ヶ月間、ヴィクトリア州クリケット協会(VCA)から同じくDevelopment Officerが来日し、日本におけるクリケットの普及は勿論のこと、日本人クリケッターの技術向上或いはコーチ育成プログラムの作成並びにコーチ制度の導入、また協会の組織作りの一助として数多くの活動を行ってくださいました。2001年の夏にはもう1つ、英国で開催された「Japan2001」(英国で開催された日本祭り)の公認行事として男女8試合のクリケット国際親善試合がロンドン近郊で行われました。またその中でMCCと男子は1998年以来の再戦を果たし、女子もMCCとの初対戦を果たしました。  
 女性のクリケット界に目を向けますと、1999年に女性の日本代表が初めて海を渡り、大使館の協力を得て、オーストラリアに海外遠征を実施致しました。今後もワールドカップ出場を含めた海外遠征を計画しており、現在女性のクリケットも徐々に海外に進出しだしてきております。
 尚、在日外国人クラブは日本人クラブとほぼ同数存在し、まだ殆どが日本の主要な地域に存在しております。関東以外の地域における選手権は出場クラブの大半が在日外国人クラブによって占められております。日本人のみのクラブによる選手権維持は現在まだまだ関東地域以外では難しく、東北、東海、関西、四国、九州地域は在日外国人主導型で開催されております。 そういった状況の中、2001年11月23日から2日間かけて、国籍や地域、所属チームの枠を越えた6人制ではありますが、史上初の全国大会が千葉県で開催されました。
 2002年よりEAST ASIA地域の国際大会が正式にスタート。早速8人制の大会ではありますが、2月下旬からオーストラリアのパースにおいて第1回開催が行われます。もちろん日本の出場も決定しており、日本のクリケット界は、今後ますます世界へと羽ばたこうとしております。